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暮らしの中に小さな発見・工夫を☆ 

音楽と数学と

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きっかけ

先日、前々から楽しみにしていたバッハのパイプオルガンのコンサートに行ってきました。

 

パイプオルガンは楽器ですが、

その巨大さから、もはや「建築物として美しい」

と思っています。

そして演奏者が右手・左手そして右足・左足をフル活動させて演奏する様子は、

「神業」

だとしか表現できません。

 

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パイプオルガンといえば、やはり大御所バッハの作品に魅かれます。

音の調和と心地よさが感じられます。

中には音のつぶてが頭の上から降ってくるような、激しい曲もありますけれども・・。

 

と、言いつつ実はコンサートでは曲調や体調にもよりますが、演奏が始まると漏れなく

「入眠」します。

わざわざ会場に聴きに行って睡魔に襲われるとは・・、と思われるかもしれませんね・・。

でも、わたしとしては実に「正しい反応なのではないか」と真面目に思っているのです。

それほど作品は、特に演奏を生で聴いていると「心地よい」からです。

 

手を変え品を変え繰り返されるテーマ。

ゆるやかなリズム。

時には鳥のさえずりのように、またある時はフルートのような柔らかな音の響き。

こういったもののなせる技なのでしょうか・・。

 

詳しい音楽理論とかはわからないのですが、

これをわたしは勝手に「バッハのたくらみ」と呼んでいます。

 

ところで、今回は珍しくコンサートの演奏の合間に、質問コーナーというものがありました。

わたしたち聴衆から演奏家の方に、日ごろから思っていた疑問をぶつけることができる貴重な時間でした。

 

「どうしてパイプオルガンを選んだんですか?」

「バッハが生前実際に使用していたオルガンを弾いたことはありますか?」

「本場ヨーロッパの教会のパイプオルガンで演奏する場合と、普通のコンサート会場でパイプオルガンを演奏する場合に、それぞれ気を付けていることはありますか?」

などなど、「夏休みこども電話相談室」の大人版のように多岐にわたる質問でした。

 

その質問コーナーが滞りなく終わろうとしていたときのことです。

 

質問者に対する演奏者さんのお話は、やがて思いもよらない方向へ向かいました。

それは、

「音楽は数学なんです」

というお話でした。

 

うーむ、「拍」という点ではそうかなあ、と思いますが、私は音楽と数学は対極にあると思っていたので、とっさには理解できませんでした。

 

自宅に帰ってからもこのフレーズが耳にこびりついて離れず、もやもやしていたので、図書館や本屋さんにあたってみました。

 

見つけたのがこちらの本です。

桜井進 坂口博樹共著

「音楽と数学の交差」

 

読んでみて

本書は、いまからご紹介する冒頭の言葉に集約されていると思います。

そして本書を読み終えて、再びこの冒頭の文章に戻ってみると改めて深く味わえると思います。

音楽はそれが生まれたときから、数学とは切っても切れない関係にありました。

メロディーもビート(拍)も和音も、実は数の並びそのものです。書かれた音符は数字の一種と言えます。

実際、ドレミファ・・は、それが日本社会に入ってきた19世紀末から20世紀初めの頃(明治の頃)はヒフミヨ・・(1234・・)と歌われていました。

音階の構成音は、それがドレミ・・と呼ばれようと、123・・と呼ばれようと、数として認識とれていることに変わりはありません。その数としてとらえられた音は、身体的行為としての演奏を通して音楽になります。

音楽は身体化された数にほかならないのです(p10)。

現代のわたしたちはドレミファソラシド・・、と普通に使っていますが、

たとえばドから1オクターブ上のドまでの間で、「音をどう分割していくのか」というのは大問題だったんだなあということが順を追ってかかれています。

 

「音」の本質は振動です。

そして音は、固有の「振動数」を持ちます。

「振動数」とは、1秒間にどれだけ振動があるのか、ということを表します。単位はHz (ヘルツ)です。

 

ちなみに、NHKのラジオの時報のピッピッピッ、ピーンの、最初のピッピッピッは440Hzです。

そして最後のピーンは倍(オクターブ上)の880Hzです。

 

 

「音階」とは音の高さの並び。ですからこれは数の並び、つまり数列なのです。

「音律」とは音の律を定めること。音階のそれぞれの音を調律する基準です。

絶対音高ではなく、各音階構成音の「振動数の比」を現しています。

・・だから数学が入ってきちゃうのですね。

そして

「自然なメロディーを感じさせる音律」

「きれいな和音を作る音律」

が、微妙に矛盾するのだそうです。

そこで、この矛盾にちょうど良い着地点を見出すべく、歴史上さまざまな調律法が開発されてきたんですね・・。

 

ちょっと話はここからズレるのですが、

数学というのは絵にもあてはまるのだそうですね。

どういうことかというと、例えばどういう比率で人体や自然を描くのか。

どういう比率だと美しいのか。

このあたりは「黄金分割」1対1.618・・というのがあるそうです。

人間が見て美しいと感じる比率。

名刺の紙のサイズや多くの書籍の縦と横の長さなどにも採用されているそうです。

また、自然界では植物の葉の付き方にも表れているそうです。

 

美にも数学が隠されているのですね。

(余談ですが、日本は黄金分割でなくて、白銀比というものが昔からあったそうです。)

 

音律のお話では、最初に登場するピタゴラスさん。

あの三平方の定理のピタゴラスさんです。

ピタゴラスさんの活躍した古代ギリシアでは、宇宙とか自然学とか数学とか音楽とか美術などが今のように分かれていなかったんだそうです。

だからいろんなところに数学が隠されている。

文系のわたしにとってちゃんと理解することはとても難しいことですが、

非常に面白い

と思った内容でした。

偉大な方々は、ものごとの根本を突き詰めていくんですね・・。

 

本を読んでみて

やっぱり作品にはしっかり「バッハのたくらみ」は随所に隠されているに違いない、とますます確信を強めました。

偉大なバッハはきっと「数学でもある音楽」を突き詰めていったことでしょうから・・。

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