食欲の秋?読書の秋?爆睡の秋?
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大石静さん脚本の大河ドラマ「光る君へ」を欠かさず観ています。
もう毎回、「動く平安時代」を観ることが出来て、嬉しい限りです。
(役者さんはもちろん、スタッフの皆様、ありがとうございます)。
わたしはドラマを観ながら、「おおっ~」と毎回声を発しています。
たとえば、こんな場面です。
- 帝や貴族の、立ち上がったり、座ったりするときの無駄のない所作をみて。
- 高貴な女性たちが歩くときの着物のすそさばき。
- 高貴な方々は手を人前に出さず、袖口の中に隠していらっしゃるんですね。
- 中宮はじめ、お仕えする女房たちは、もれなく超ロング。下手をすると身長とほぼ同じくらいの髪の長さのように見えます。肩は凝らなかったのかしら。自分の髪はもちろん、ほかの方の髪の毛をうっかり踏んでしまったりということはなかったのかしら。わたしなら絶対に日常生活に支障をきたしそうです。
- 夜は、当時の部屋の中の暗さがよく表現され、だからこそよりいっそう月が愛でられていたのだなあ、とわかる気がします。
ようやく、まひろ(紫式部)が「源氏物語」の執筆にかかるようになってからは、ますます「光る君へ」のドラマの沼にはまっています。
それにしても「源氏物語」は有名なのに、それに引き換え、書き手の紫式部自身のことはあまりよくわかっていません。
たとえば紫式部の本名ですらわかっていません。
(大河ドラマでは「まひろ」となっています。)
「光る君へ」はドラマなので当然フィクションも織り交ぜたものですが、「彼女の生涯についても注目した」ドラマであるというのがとても新鮮に思えます。
わたしは、ドラマをみながら、紫式部のことがもっと知りたくなり、今回はじっくり
杉本苑子著「散華 紫式部の生涯」
を読んでみました。
杉本苑子(すぎもとそのこ)さんはこんな方です
「孤愁の岸」や「滝沢馬琴」などの歴史小説で知られる。
歴史小説を書く原点になったのが戦争体験。
歴史の中に埋もれた人々の物語を描きたいという思いが多くの名作を生んだ。
「歴史を見ると、これは小説化しておくべきだと思うことが確かにある。だからこそ小説を書いてきた」NHKアーカイブスより抜粋
本書についておおまかな内容と目次
お話は、大きく2つの山場に分かれています。
①母を病気で亡くした幼少期の頃からはじまり、「また従兄(いとこ)」の藤原宣孝(のぶたか)との短い結婚生活までのお話
②そしていよいよ「源氏物語」の執筆と、中宮彰子に仕えるものの、紆余曲折を経て宮中を去り亡くなるまでのお話
目次
- 峠路の賊
- 蜻蛉日記
- 魔火
- 麗ノ女御
- 蓮の葉の露
- 冬の季節
- 死神
- 夏ごろも
- 越前国府
- 移りゆく日々
- 光る源氏 輝く日ノ宮
- 出仕
- 道長呪詛事件
- 宇治十帖
- 人形から賢后へ
- ねむの花
感想
この作品を読むうえで特に大事に思えたことは次の2つです。
①なぜ紫式部は物語を書くようになったのか(書かざるをえなかったのか)。
②物語を創作するうえで、必ずぶち当たるだろう問題と彼女自身がどう折り合いをつけたのか。
①について
ほぼ同時期に活躍した女性の書き手による作品には、
- 藤原兼家妾(=道綱母)の書いた「蜻蛉日記」、
- 清少納言の書いた「枕草子」、
- 和泉式部の書いた「和泉式部日記」
などがあげられます。
こういった作品を読んだ紫式部にも、その影響は大いにあったことと思います。
ですが、彼女がなぜ「源氏物語」を書いたのか(書かざるを得なかったのか)。
真相はもちろん本人にしかわからないことですが、本書を読み進めるうちに読者自身が、このことが原因なのか、それともあのことが影響しているのだろうか、と、あれこれ思いめぐらす楽しみがあります。
(だから本書はいろんなエピソードが盛り込まれているので読みごたえがあります。)
すごく影響があっただろうなあ、とわたしが思ったのは、紫式部の姉の存在です。
大河ドラマでは出てきていないのですが、実は彼女にはひとつ違いの姉がいたんですね。
つまり、父の為時(ためとき)とその妻の間には(同腹で)、
- 長女(本書では「大市」という名)
- 次女(本書では「小市」という名 のちの「紫式部」)
- 長男(大市と小市の弟。「薬師麿」のちの「惟規」(のぶのり))
という3人の子供がいました。
この姉の大市の生き方をずっと見てきた小市。
大市は、思いがけず玉の輿に乗るのですが、まだ十分若いのに亡くなってしまうのです(26歳位 諸説あり)。(注)
本書では大市の生き方が、平安貴族の女性たちの「優雅」だけれど「受け身」の生き方をせざるを得ない、はかない身の上を象徴した存在として描かれているように思えてなりませんでした。
(注)姉がいて、若くして亡くなったのは事実のようですが、夫であると設定した方が実際の夫だったかどうかについては杉本さんの創作なのか実際もそうだったのかは、調べてみたのですがわかりませんでした。
②について
世紀のストーリーテラー、紫式部。
物語が評判をよび、多くの方に読まれるにつれて、きっとぶつかるだろう問題。
すなわち、「どっちを向いて物語を書くのか」。
このことを、おなじ物語の書き手である杉本苑子さんは本書で深堀りしています。
つまり、
「自分のこころに忠実に書くのか」
それとも
「読み手の期待に応えるかたちで書くのか」。
どうして物語を書いたのか、にとどまらず、どういうスタンスで書いたのか。
本書がここまで踏み込んでくれていたのは、書き手である杉本さんも同じ作家さんであったことが何より大きいと思います。
あっ、でも実はこの視点は、物語だけではなく、エッセイとか、ブログなども誰かに向かって文章を届ける点では同じなので、根は同じことなのかもしれないですね。
最後に、光源氏のセリフを通して「紫式部が物語を書いた理由に触れている個所」として、「歴史探偵」というテレビ番組で紹介されていたので書いておきます。とても印象深かったので見ながらメモしました。
この世に生きる人のあり様には
見ているだけではもの足りず
聞いても聞き流せないことがある
後の世に伝えたいと感じる
そうした事柄を
心にしまっておけず書いたのが
物語の始まりなのです
(源氏物語 蛍より番組訳)
NHK「歴史探偵」光る君へコラボスペシャル第2弾 源氏物語 2024.8.28放送より(←わたしどんだけ好きなんでしょう・・)
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