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ドナルド・キーン著「私が日本人になった理由  日本語に魅せられて」からの日本再考

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わたし自身、学生時代から「ライフログ」としてずっと「手帳」や「日記」を書き続けています。

 

そこには自分のささやかな「歴史」が刻まれています。

また、書くことを通してこれまでの歩みを俯瞰でみることが出来たり、何かに気付いたりすることもあるので、まがりなりにも続いているのでしょう。

 

一方、他の人の書いた「日記」についても、実はとても興味があります。

たとえば・・・

「何を書くのか」。

  • あえて、良かったこと、嬉しかったこと、楽しかったことだけを書く
  • 嫌なことや不満について、ストレス解消に役立てようと思って書く
  • 起こったことを、淡々と書く

 

「どんな風に書くのか」。

  • 自分が感じたことを中心に、事細かに描写する
  • 時系列に即して、淡々と箇条書きする
  • 文章にプラスして、風景とか、地図なども描く

 

日記は、そもそも非常にプライベートなものなので、著名人の(意図してであれ、意図せずにであれ)公開されたもの以外には、なかなか読む機会はないものですが・・。

 

先日、図書館に行ったときに、ドナルド・キーンさんの「百代の過客」という本を偶然知りました。

どんな本かというと、平安時代から徳川の時代までの間に、さまざまな方によって書かれた日記について、キーンさんが書評したものをまとめたものです。

 

今年の大河ドラマ「光る君へ」にハマっているわたしとしては、

平安時代に書かれた日記

例えば

・紫式部の「紫式部日記」

・紀貫之の「土佐日記」

・藤原道綱の母の「蜻蛉日記」

和泉式部の「和泉式部日記」

・藤原道長の「御堂関白記」

について書かれていた書評から早速読み始めました。

 

余談ですが、藤原道長の書いた「御堂関白記」(みどうかんぱくき)。

道長が30歳から56歳の政権掌握していた時期に書かれた日記です。

 

これはずっと「藤原摂関家」に受け継がれ、鎌倉時代に、五摂家に枝分かれしてからは、その筆頭の「近衛家」に代々伝わっています。

 

日記には、たとえば

  • 宴に招待したときに、参加した者、来なかった者、招待しなかったのに来た者の名
  • 何かの報奨として、誰に何をどのくらい与えたか

なども、いちいち几帳面に記録されています。

 

なお、日記に道長が、

件(くだん)の記録あらわになすべからず

 

と記載しているので、代々摂関家の当主だけが見ることを許されていたのだそうです。

つまり、日記は、当主が何かの判断をしなければならないときに、御堂さま(=道長)の先例にあたってみようということで読むもの、だったのですね。

「日記」は、大切な「データベース」でもあったのだということに改めて気が付きました(NHK 「英雄たちの選択」スペシャル 「日本史サバイバル 近衛家と細川家の戦略」2024.5.6放送より)。

 

それにしても、アメリカ人のキーンさんが、これらの本を原文で読み、そして書評までされていることにおおいに衝撃を受けました。

 

どうやったら(一般的な)日本人にさえ難しい古典を読めるんでしょうか?

そしてどうして日記なのか?

もっと言うと、どうして日本語を学びたいと思ったのでしょうか?

 

頭の中を駆け巡ったこういった疑問の数々から、

次にわたしは

ドナルド・キーン著

「私が日本人になった理由 日本語に魅せられて」

を読んでみました。

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感想

1.日本との出合いについて、ひとつには「源氏物語」との出合いをあげています。

ヨーロッパでナチス・ドイツが戦線を拡大していた1940年。

キーンさん18歳のときに書店で偶然アーサー・ウェイリー翻訳の「源氏物語」と出合ったそうです。

 

その文章の美しかったこと。

 

当時の暗雲垂れ込める空気の中で、物語の登場人物たちは愛と美のためだけに生きている。

キーンさんにとって、まさに暗闇の中で現実を忘れさせ、唯一没入できるもの。

それが源氏物語だったのでしょう。

それほど、当時のキーンさんが生きた時代が、不安と重苦しい空気で一杯だったのだ、ということが感じられます。

 

ともあれ、ここからキーンさんは日本文学や日本文化の研究を志すようになります。

 

2.日本兵の残した手帳との出合い

キーンさんがコロンビア大学在学中に太平洋戦争が勃発。

どうしようかと思ったところ、米海軍日本語学校だったら勉強が続けられるということで、入学します。

戦時だったので、11か月で卒業。

それまでには、簡単な草書も読めるようになった、とあります。

・・確かにキーンさんは語学に類まれなる才能を発揮した方だったようです。

それにしても、一体どんな勉強方法だったのでしょうね。

とても知りたいです。

 

平和主義のキーンさんは、幸いにも銃を持って戦闘することはなかったそうです。

また当時の米海軍日本語学校も、生徒には日本語の習得にのみ集中させるために、海軍としての戦闘訓練は一切行わなかったのだそうです。驚きです。

キーンさんは、通訳や日本の文書の翻訳担当として従軍します。

 

そこで、亡くなった日本兵の黒い日記の山と出合います。

仕事のひとつが、戦場に遺棄された日記を翻訳することで、情報収集する任務だったためです。

 

手帳の巻末には「この日記を見つけたならば、戦争が終わってから私の家族に送ってください」と、米兵に向けて英語でメッセージが残されているものもあったそうです。

 

ちなみに、敵の手に渡ることを恐れて、米兵は日記を付けることは一切禁止だったのだそうです。そしてそれは米兵に何らの苦痛も与えなかったとのこと。

 

これに対し、日本はそのリスクを認識しつつも、毎年元旦にすべての兵士に日記帳を配布したのだそうです。

日記をつける、という日本の伝統を禁ずることの「マイナス面」を危惧したためなのでしょうか。

この辺の違いは大変面白いと思います。

 

実はキーンさんはこっそりその手帳の山を隠しておき、戦争が終わったらご家族に返してあげようと思っていたそうです(りっぱな法律違反になりますけれど・・)。

でもそれがキーンさんが不在のときに見つかってしまい、没収されてしまいました、とあります。

 

キーンさんは、日記は日本人にとって非常に貴重なもの。

「日記文学」というジャンルがあると後年気が付いたそうです。

 

3.この本は、人生でこれほど熱中できるものを持てるなんて、なんて羨ましい!、の一言につきます。

 

キーンさんは「私は日本語そのものに惚れたと言うしかありません」と言い切っています。

 

そんなキーンさんから、「100年先の皆様へ」というメッセージが巻末にありました。

現在の日本とはずいぶん違った国になっているでしょう。

今も未来も守るべきものはあります。それは日本語です。

100年先には日本語以外の言葉が国際語になっているかもしれません。

しかし、日本語こそが日本人の宝物と信じて疑いません。

ぜひ守ってください。これこそは私の一番の願いです。

お願いします。  ドナルド・キーン(鬼 怒鳴門)

 

本書の目次

  1. 日本人になる
  2. 銀閣寺との出会い
  3. 日本の美の原点 東山文化
  4. 足利義政が残したもの
  5. 日本人の美意識
  6. 「源氏物語」との出合い
  7. 日本語に魅せられて
  8. 心を揺さぶった日本兵の日記
  9. 日本人の美徳
  10. 日本人となる決意
  11. 日本人の立ち直る力~震災後の日本の姿
  12. 日本文学の魅力~文学の力

著者略歴(本書より一部抜粋)

1922(大正11)年、ニューヨーク市生まれ。

日本文学研究者、文芸評論家。

古典から現代までの日本文学に精通し、戦後のアメリカにおける日本文学理解を飛躍的に高めた。

三島由紀夫、安部公房ら、戦後に活躍した作家と親交を深め、翻訳・紹介を通じて世界への現代日本文学の普及にも貢献。

2012年3月、日本国籍を取得し、日本人となる。

 

本書を読んでから・・

キーンさんをはじめ、こんなに長きにわたり日本のみならず、海外の方々をも魅了し続けている「源氏物語」を、わたしもそろそろきちんと読みたくなりました。

 

「源氏物語」は、「古典の文法を学ぶもの」として読むのではなく、「現代語訳」で読み始めることを強くお勧めしているキーンさん。

 

・・ですよね。

もっと早く聞きたかったお言葉です☆

 

なので今、田辺聖子さん訳にするか、角田光代さん訳にするか、林望さん訳にするか、はたまた瀬戸内寂聴さん訳にするのか、わたしは悩んでいます。

ええと、漫画ですが、大和和紀さんの「あさきゆめみし」という手もありでしょうか、キーンさん・・?

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