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1986年放送「手塚治虫 創作の秘密」の再放送をみて

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明るいうちから見える月

 

手塚治虫作品の読み直し

大人になって、子供時代に読んだ手塚治虫作品を、無性に読み直してみたくなり、少しずつ読んでいます。

その中には、最初に読んだ当時は子供だったので、作品の内容について途中でついていけなくなり断念した作品も含まれています。

 

最初に読み直したのが「ブラック・ジャック」。

次が「アドルフに告ぐ」でした。ちなみにこちらが途中で読むのを断念した作品になります。

 

「手塚治虫 創作の秘密」の再放送

そんな中、2025年1月31日、NHKの「時をかけるテレビ」で、たまたま1986年放送の「手塚治虫 創作の秘密」という貴重なドキュメンタリー番組の再放送を見ました。

 

番組は、あの「情熱大陸」のように、先生に何日か取材陣が密着させてもらい、「漫画の神様」と言われる手塚先生の「創作の秘密」に迫ろうとするものです。

 

先生と奥様以外には入ることが許されない先生のお仕事部屋の中まで、カメラを入れさせてもらっています。

いったいどう先生を口説き落としたのでしょう?

 

なお、カメラは、当時画期的だったリモートコントロールカメラを、先生のお仕事部屋に設置させてもらい、別室で取材陣がカメラを操作していました。

でも先生からは取材陣が丸見えだったような・・(*^-^*)

 

先生のお話の中で特に印象に残っているものについて

1.作品の創作の一手法と落語の三題噺(さんだいばなし)

 

作品の創作の秘密について、先生は「アドルフに告ぐ」の場合を一例としてお話してくださいました。

 

この作品には3人の「アドルフ」が登場します。

このうちの1人があのアドルフ・ヒトラーなのですが、そもそも何かの本のコラムで、「ヒトラーの血にはユダヤ人の血が入っていたかもしれない」という一文を先生は読んだのだそうです。

(注 あくまで漫画の創作についてのお話ということでお読みください。)

これをヒントにして、あとは全部僕の付け足し(創作)なんだよね、ということでした。

 

ではどんな風にされたのか?

お話は次のように続きます。

 

先生は一方でゾルゲ事件で有名なリヒャルト・ゾルゲという人物にとても興味をもっていらしたのだそうです。

こちらの事件は本当にあった事件です。

 

ゾルゲ事件について、Wikipediaより一部引用します。

ゾルゲ事件は、ドイツ人ジャーナリストとして来日赴任したリヒャルト・ゾルゲが率いるソ連のスパイ組織が太平洋戦争直前の日本国内で諜報活動および調略活動を行ったとして摘発された事件である。1941年9月から1942年4月にかけてその構成員が逮捕された事件。

 

そして先生は、

「戦後にあんなに評価の変わった人もいないのではないか?と仰っていました。

 

さて、先生曰く、作品の中にこの二つを結びつけることが出来ないか、と思って用意したのが、「第三者」です。

この「第三者」は「当事者のどちらとも関わりがある」人物として作品の中に登場させるのです。

つまり、「第三者を通して、思いがけない組み合わせを創る」とでもいうのでしょうか。

 

これは丁度落語で言うところの「三題噺」(さんだいばなし)と同じなんだよ、と説明されています。

 

ここで三題噺について補足します。

三題噺は、落語の寄席で客席から即興で3つのお題をもらうものです。

  • 人の名前
  • 品物
  • 場所

の3つです。

この3つを全部使って即興で噺をつくるというものになりますが、このうちのどれかをサゲに使わなければなりません。

 

即興で行うので、センスや幅広い知識が問われますので、もちろん誰もができるというものではありません。

 

こんな先生のお話を聞いて、「ああ先生の頭の中は『常に』漫画のアイディアで一杯だったんだなあ」と思えてなりませんでした。

 

このニュースは、

この新しい技術は、

この音楽は、

この歴史上の人物は、

今手掛けているこの作品に、何か関わらせることができないか・・と。

 

このドキュメンタリー番組の中では、先生が漫画を描く手を一切止めずに、仕事部屋のテレビのチャンネルをひねっているシーンが出てきます。

 

通常は、頭の中がテレビの内容に持っていかれると思うのですが、先生の場合は違うのだ、ということが次第にわかってきました。

 

2.きれいな丸が描けなくなった、というお話がせつなかったです

 

漫画のアイディアはバーゲンセールしてもいいくらいにあるけれど、身体の老化は避けられないねえ、とおっしゃる先生。

それでも老化となんとか折り合って、あと40年くらい(100歳まで)は漫画を描き続けたい、とも・・。

 

ただ、昔はまん丸のきれいなお月さまなんか、いとも簡単に描けたんだけど、今はきれいな丸が描けないんだよ。

先生は少し寂しそうに仰っていました。

 

このドキュメンタリー番組が放送された約3年後に漫画の神様は60歳の若さで逝ってしまいました。

 

番組の取材中は、3日間でトータル3時間の仮眠。

てんやもののチャーハンやコンビニのおにぎりを食べながら、それこそ身を削って作品を世に送り出してくださっていた様子が映っています。

先生の残してくださった作品をもっと読みたいと益々思わせてくれた番組でした。

 

生涯描いた原稿15万ページ。

漫画作品700タイトル以上。

アニメ作品60タイトル以上。

翻訳出版された国は18か国。

 

番組の最後に、映画「2001年宇宙の旅」のテーマで有名なリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」の音楽にのせて、漫画の神様の功績が静かに紹介されていました。

 

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