
◯月△日
郵便局に行った帰り道に見た夕焼け。ちょうど用事があり見逃さなくて良かった。
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わたしの「10年日記」について
わたしは現在、「10年日記」をつけています。
スマートフォンのノートアプリに「デジタル日記」をつけることももちろん考えたのですが、どうしても「万年筆で手書き」がしたくて、毎日手書きで日記を書いています。
そもそもは、中学生の頃、当時は確かコクヨのノートだったと思います。
「その日にあったこと」と、
「その出来事に対し、どんな風な気持ちになったのか」
といったことを、鉛筆でササっと書き始めたのがわたしの日記習慣のはじまりでした。
その後、成長と共に日記の書き方を変えたり、ノートの種類も色々と試したりしたものの、日記に記録を書き留めることはずっと続けてきました。
現在使っている「10年日記」は、次のようなものです。
- 1ページに〇月△日にあったことを書くようになっています。
- そのページにはスペースが10マス分作ってあり、〇月△日について10年分書き込むことができるようになっています。
- なお、各年につき「3行分」しか書き込むスペースがないので、「これ」というその日のトピックスを選んで毎回上手にまとめていかねばなりません。
「10年日記」は、日記に書きこむ時に、同日の過去の記録を「ついでに読む」ことが出来ます。
特に、自分で書いた記録に対して少し時間を空けてから読むと、新たな発見があって面白いです。
「3年前の今日、○○の映画を見たことがきっかけで、それ以来××監督の映画を封切のたびに観るようになったんだなあ」とか。
「毎年ほぼ同じような時期に風邪をひいてダウンしているじゃない、わたし!」とか。
「どうして秋になるとバッグ類が無性に買いたくなる病を発症するんだろう?」とか。
まるで幽体離脱のように(?)外側から自分を見るような感じです。
ただ、その日に書くことができるのが3行分しかないので、主に「何に絞って書くのか」を決めなければならない点は、常に悩ましいところです。
では何故この「10年日記」に辿り着いたのかいうと、わたしの場合、何といっても書いたノートの「収納スペース問題」が大きいかもしれません。
以前は、1年で1冊というペースで日記帳を使っていました。
書くときにはスペースにゆとりがあって頼もしいのですが、それを10年間続けると計10冊。
それなりに日記帳が棚や引き出しの場所を占めることになります。
わたしは日記帳の他に、これまた手書きの「手帳」もスケジュール管理用に使っているので、「収納スペース問題」はホントに切実なのです。
それに、紙はまとまるとズッシリ重いですよね。
プライベートな記録を、いつ、どうやって処分するか、という問題もありますし・・・。
ある時にそう思って、日記は10年分が1冊になっている「10年日記」にきっぱり切り替えることにしたのです。
「日記力」。この言葉に魅かれて読んでみました
そんなわたしですが、最近見つけた本
阿久悠著「日記力 日記を書く生活のすすめ」
を、タイトルに惹かれて読んでみました。

あの昭和の大作詞家 阿久悠さんの本です。
阿久悠(あくゆう)さん(NHKアーカイブスより一部引用)
作詞家。
1937~2007年、兵庫県出身。大学卒業後、広告代理店に勤務し、番組企画やCM制作などを手掛ける。66年にフリーとなり、本格的な文筆活動に入る。
67年に「朝まで待てない」で作詞家デビュー。
以来、時代の風を敏感に感じ取り、時代を歌につむぎ続けた。
「また逢う日まで」、「津軽海峡冬景色」「北の宿から」「宇宙戦艦ヤマト」「青春時代」「UFO」「勝手にしやがれ」など、作詞した曲は5000曲以上に及ぶ。
小説「瀬戸内少年野球団」は映画化され、作家としてもその才能を発揮。
日本レコード大賞を数々受賞し、97年には作詞活動30年の功績が称えられて第45回菊池寛賞を受賞。99年紫綬褒章を受章。
参考になったこと
本書は巻末に、2003年第1刷とあり、今から約20年も前に出版された本です。
本書の中に書かれているお話の中でも、小泉総理大臣とか、ブッシュ大統領とかのお話も出てきました。
時代を感じますね。
ですが、歌謡曲の黄金期、その中心にいらした時代でさえも、阿久悠さんはどこか冷めた目で周りやご自分をみつめていらっしゃった。
そういう阿久悠さんの言葉の数々が、時代の古さを全く感じさせずにわたしにまっすぐ届いたのかもしれません。
1.阿久悠さんのいうところの「日記憲法」をわたしなりに作ってみたい
阿久悠さんはご自身が作詞するときに、ご自分ならではの大切にしたい視点をキュッとまとめて、「作詞憲法15か条」なるものを作っていらしたそうです。
例えば、こんな感じです(番号は「作詞憲法」の番号です)
- 5 個人と個人のじつにささやかな出来事を描きながら、同時に社会へのメッセージとすることは不可能か。
- 13 歌にならないものは何もない。たとえば、一編の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを四分間に盛ることも可能ではないか。
- 15 歌は時代とのキャッチボール。時代の飢餓感に命中することがヒットではなかろうか。
それで、これと同じように、ご自身が日記をつけるときのご自分なりのオリジナルな視点「日記憲法5か条」をつくりあげたのだそうです。
少し引用します(番号は「日記憲法」の番号です)。
- 2 レストランのメニューから米大統領の演説まで、およそ興味を覚えたものは、同格に書けないものか。
- 5 今日があり、世界があり、そして、自分がありという書き方ができないか。
こちらは阿久悠さんの「日記憲法」のうち、わたしが激しく共感を覚えた部分です。
「日記憲法」は、最初からあったものではなく、おそらく日記を書くスタイルを少しずつ作りあげるうちに、ご自分の中で大事にしたい視点をご自分なりに見出して出来上がったものなのでしょう。
「日記憲法」という言葉にかかわらず、人それぞれ「何を書いておくか」は、大事な「その人らしさ」だと思います。
またそれは年齢を重ねていくにつれ変わっていくものなのかもしれない、とも感じています。
現在、わたしの場合は「10年日記」のそれぞれの「3行」の中に、こんなことを気に留めつつ記録し続けています。
- 楽しかったこと、嬉しかったこと、学んだこと、気が付いたこと。これをまず書こうと思っています。たとえどんな日でも丁寧に探せば、何かしらあるものだとだんだん思うようになりました。
- 身近なことから、ニュースまで、「記録」として残しておきたいと思うものも書いています。後で読み返すと、その記録がキーワードとなって他の出来事も連想ゲームのように思い出すこともあります。道しるべのようなものです。
- 後で読み返したときのことも考えて、ネガティブなことや人の悪口などはなるべく書かないようにしています。
2.日記を付けて観察力を磨きたい
長年日記をつけていると、確実に物事を観察する目が養われます。無意識にやり過ごすことが減るからです。そして、何よりも日記というメディアの最大の特徴は「昨日と違う今日の確認」ができることです。
自分の「10年日記」を折々に読み返してみると、気象や街の様子といったことについてはこんなことを感じています。
- 日々、その日の最低気温、最高気温も併せて記録しているのですが、年々春や秋のおだやかでお出掛けしやすい時期が驚くほど減っていることに気が付きます。
- わたしが小さな頃からお世話になっていた地元の個人商店が、激減しています。特に新型コロナウイルスが日本でも流行り出した2021年頃は顕著でした。
一方、日記を読み返していると、
- 自分自身の好きなもの、嫌いなもの
- 自分が大事に思うもの、そうでもないもの
などを日記の中に見ることができて、
「自分を知る」手掛かりになるように思えます。
例えば、いまは、家族や身近な人との季節ごとの行事を共に過ごすことは、大事だと思うようになりました。
また、コミュニケーションもメールよりは出来たら電話で相手の声を聴いたり、チャンスを逃さず実際にお会いすることも大事だと思うようになりました。
日記は奥深いものですね。
書いて、そして折々読み返して。
そんな日記は、ひとが前に進んでいく「力」になり得るのではないかしら・・・。
本書と対話していて、そう感じました。
あなたは日記を書いていらっしゃいますか?(*^-^*)
もし、なかなか続かないという方は、
- デジタル日記でも、紙の日記でもよいので、「1行日記」がおすすめです。
- また、絵を描ける方は、絵を描いてもよいですし、シールとかスタンプを使ってアレンジするのもよいかもしれませんね。
何でもそうかもしれませんが、なんとなく「楽しい」と思って続けるのが一番だと思います(#^.^#)
本書目次
まえがき
第一章 ある日の阿久日記
第二章 阿久日記ことはじめ
第三賞 情報の洪水を泳ぐコツ
第四章 日記から読む現代日本の病巣
第五章 昨日と違う今日の確認
第六章 日記に隠された創作の秘密
第七章 日記を書く生活のすすめ
あとがき
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