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きっかけ
時代小説が好きで、よく読むようになりました。
かといって、むかしから読んでいたわけではないのです。
思い返せば、2011年の東日本大震災のあとからでしょうか。
この記事を読んでくださっている方もそうだったでしょうが、あのような体験は人生で初めてで、とても怖かったですし、常に心がどこか緊張した毎日を過ごしていました。
特に東日本で不安定だった食料や日用品の供給が、その後だんだんと落ち着いてきた頃。
しばらく遠のいていた地元の本屋さんに、ある日自然と足が向いていました。
行ってみると
すこしホッとさせてくれるような本だったり、
普段楽しみに読んでいるいつもの本だったり、
絵本だったり
画集だったり、
漫画だったりといった
「日常を離れて心を満たしてくれる何か」
を求める人々でその小さな本屋さんは大変混雑していました。
その本屋さんで、わたしは髙田郁(たかだ かおる)さんの一冊の時代小説をたまたま手に取ったことがきっかけとなって、その後も時代小説を少しずつ読み続けることになりました。
なぜだか時代小説を読んでいると、心が落ち着くのです。
特に雨の日に静かに読む時代小説は、格別だと思います。
こうして時代小説を読む時間を楽しむようになったのですが、やがていつも親しんでいる作家さんたち以外の作品も幅広く読んでみたいと思うようになりました。
ただ、時代小説はそれこそ既にたくさん世に存在していて、選ぶにしても大いに悩むところではないでしょうか。
そこで参考にしたいと思い、
本書 常盤新平著「私の好きな時代小説」
を読んでみました。
常盤新平さん
常盤新平さんは翻訳家、エッセイスト、小説家。
わたしは、常盤さんが翻訳家だったことは以前から知っていたのですが、実はこの本を読むまで、常盤さんが時代小説が大好きで、しかも相当精通しておられる方だとは知りませんでした。
常盤さんは、ご友人から池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』を勧められて読んだことがきっかけになって、時代小説に強く惹き付けられるようになったのだそうですよ。
ご自身による「まえがき」に、こうあります。
それに時代小説は、翻訳をするときに役立つのです。とくに岡本綺堂の『半七捕物帳』の文体を、私は手本にしていました。小説にしろノンフィクションにしろ、なるべく誰が読んでもわかりやすい、癖のない翻訳を心がけたいと、常日頃考えていました。岡本綺堂のあの文章には、無理な表現がない。よどみなく、すっと読めて、内容もしっかり入ってくる。翻訳だけでなく、私のエッセイや小説にも、知らず知らずのうちに影響を与えているかもしれません。
そんな読み方があるんだなあ、と新鮮な驚きでした。
でもこれで英米文学の翻訳家である常盤さんと時代小説がつながる理由のひとつが、少しだけわかりました。
本書では次の14作品が紹介されています(目次より)
- 人と人のつながり 平岩弓枝『御宿かわせみ』
- 江戸の記憶 岡本綺堂『半七捕物帳』
- 歴史の想像力 隆慶一郎『吉原御免状』
- 時代への抗議 大佛次郎『赤穂浪士』
- 古くて新しいもの 長谷川伸『股旅新八景』
- ささやかな幸せ 山本周五郎『小説 日本婦道記』
- 男の食道楽 池波正太郎『鬼平犯科帳』
- 隠居の心得 藤沢周平『三屋清左衛門残実録』
- 虚無の魅惑 柴田錬三郎『眠狂四郎独歩行』
- 心か技か 吉川英治『宮本武蔵』
- おのれを知る 池波正太郎『黒白』
- 苦難を糧とする 伊藤桂一『秘剣 やませみ』
- ただ一筋の道 中山義秀『新剣豪伝』
- 成熟すること 藤沢周平『獣医立花登手控え』
常盤さんのすばらしいところ
こちらの14作品ですが、
目次にある、著者と作品紹介の前にある「一言」。
「人と人のつながり」
とか
「江戸の記憶」
という短い言葉は、(当然ですが)すべて常盤さんが選んだ言葉です。
その作品を読んで常盤さんが作品から汲み取ったエッセンスといえるでしょう。
わたしは、常盤さんの本にあった山本周五郎著『小説 日本婦道記』を読んでみました。
こちらはわたしにとって、恥ずかしながら名前だけ知っていても読んだことがなかった作品でした。
全部で31作品の短編集となっています。
読んでみると一気に読むのがもったいなく思えてきたので、毎晩1話ずつ、ゆっくりと読むようにしました。
作品は、その時代の著名人や英雄を描くというのではなく、市井の人々のつつましい暮らしや、日本人の人に誇らない素朴なやさしさなどが丁寧に描かれています。
収録作「松の花」は、山本周五郎さんの生母をモデルにしているのだそうです。
常盤さんは「小説 日本婦道記」を「ささやかな幸せ」と紹介されていますね。
作品を実際に読んでから(または久しぶりに再読してみてから)、どうして常盤さんはこの短い一言をこの作品に選んだのだろうか、と考えてみるのもいいかもしれません。
「なるほど、うまいなあ」だったり「そうきたか」だったり・・。
最後に少しだけ。
この本は、常盤さんが例えば池波正太郎さんや藤沢周平さんと対談した時のとっておきのエピソードがさりげなく書かれていたりします。
また、著者の「生い立ち」と作品とのかかわりのみならず、著者が影響を受けたであろう「時代」についても丹念に掘り起こして書かれています。
そこが単なる作品の紹介にとどまらず、深みを感じさせてくれるところです。
一方、たとえば隆慶一郎著『吉原御免状』については、著者 隆慶一郎氏が、日本中世史研究で有名な歴史学者 網野善彦(あみの よしひこ)氏の著作に触れられたことが作品を生み出すひとつのきっかけになったことを教えてくれています。
「じゃあ、ひとつ網野さんのご著書も読まなくては!」と読書がさらに広がっていく本でもありました。
おまけ☆ちょっと腑に落ちたはなし(最後じゃなかったです。ごめんなさい)
「時代小説」で思い出したのが、
尊敬する歴史家の磯田道史さんの著書「歴史とは靴である」に書かれていた一節。
磯田さんが、小説家の浅田次郎さんと対談した時のお話になります。
磯田さんが時代小説の大きな特長として、とても印象に残った言葉として紹介されています。
「磯田さんサ、たとえば、ぼくの知った会社の社長が、社員と不倫したとする。
そのまま書いたら、誰だかわかっちゃったりして書けない。ところが、磯田さん、これを江戸時代の町家の人とか藩の家老と女中さんの話にしたら書けるんだよ」
そして磯田さんは次のように言葉を結びます。
この場合、書きたい主眼は人間性です。江戸時代の史実や時代性ではありません。人間のありかた、人間性や情緒や、人情の問題は、時代を超えてもそれほど変わっていなくて、その問題を、昔の時代に舞台を移して書こうとしています。その時代がこんな時代だったという事実を示す目的で書かれていない場合が多いのです。
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